昇段者  


『初段への道のり』 E・Y 2017/09/15

 合気道との出会いは、子供の「お稽古事」としてでした。その出会いから10年・・・思い返せば様々な気持ちの変化がありました。
 はじめは道場の端で、子供の稽古を見守るところからスタートしました。高校の時に「弓道」をしていた私にとって、道場の『凛』とした空気も嫌いではなく、合気道も「護身術」という認識から大変興味もありました。そういったことから私も子供と一緒に習い始め、入門部(4年間) → 少年部(3年間) → 一般部(3年間)と稽古を行ってきました。
 しかし、私の稽古に取り組む姿勢は決してお手本となるようなものではなかったように思います。共に稽古を始めた主人は、一生懸命に楽しく合気道に取り組み、着実に昇級・昇段と駒を進めていきました。そんな主人をよそ目に、あくまでも「子供の付き添い」+「健康維持」という目的で稽古を行っていた私は、合気道に対しての探求心が特にあったわけでもなく、ただ何となく過ごした「入門部」と「少年部」の7年間であったように思います。その期間で習得したものは、形だけの技と名前くらいしかなかったように感じます。
 そんな私に転機がきたのは、一般部への移行と「受け」の面白さを感じたことでした。一般部での稽古は、「入門部」「少年部」での稽古風景とは異なり、大畑先生の技の見本を見て(言葉はなく)、それを自分なりに解釈して実践することの繰り返しです。分からなければ先生や有段者の方々に教えていただいたり、時には動きを止めて観察し真似てみたり・・・、とにかく自分から得ようとしないと掴めるものはなく、いろいろな意味で学ぶものがたくさんあります。そのような稽古の中で私が感じたことは、基本的な部分に間違いさえ無ければ、これもあればあれもあるといった正解が一つだけではない合気道の面白さです。今まで見えていなかったもの、感じとれていなかったものが、大畑先生をはじめ有段者の方々、入門〜少年部の稽古を経てこられた高校生・大学生をはじめとする一般部の方々と稽古を重ねることで初めて感じられ、合気道の奥の深さが少し見えるようになった気がしました。
 そしてそういう感覚と同時に「受け」の大切さも分かってきました。もちろん、技を覚える・掛けることもとても大切です!しかし、それも「受け」というきちんとした相手がいて初めて成立するものだということがわかりました。
 「技を掛けられたときの力の方向を受けが感じ取り、受け身をとる。」
文字で書くととてもコンパクトにまとまってしまいますが、この簡単な仕組みを頭と体で感じた時の面白さ、奥の深さが私にとって楽しく、もっと知りたいという向上心に繋がりました。
 でも、私は合気道の一部をやっと分かりはじめただけだと思います。その一部ですらすべてを理解・実践できていません。初段という段位をいただきましたが、学ぶことはまだまだたくさんあります。初段という肩書に恥じないよう、大畑先生・光輝会の皆さんと楽しみながら稽古に励んでいきたいと思います。



『今回の昇段審査について』 Y・O 2017/09/15

 私と合気道の出会いは約12年前になります。知人の紹介で光輝会の道場 を訪ねたのが始まりでした。
 今回初段を審査させていただくにあたり師範はじめ稽古をつけていただ いた道友の皆様に感謝いたします。新ためて稽古を通じて様々なことを実 感し考える機会が多々ありました。自分自身でも気が付かない内に癖が付 いていたことです。指摘を受けるまで気が付きませんでした。稽古を続け ていて何が必要か師範の技や言葉とともに説明を受けて理解しているつも りでしたが実践できていませんでした。  ではどうしたら稽古を通じてなぜ実践できないかを考え、私が理解して いることは次の様なことです。
 ・呼吸力を発揮すること
 ・力を抜くこと
 ・中心を意識すること
 ・姿勢を保つこと
 ・相手の力を生かすこと
言葉にすれば簡単ですが一つ一つメカニズムを理解して攻撃力を吸収して 自滅に導きて行ける様にこれからも稽古を続けていきたいと思います。


『初段を迎えるにあたって』 M・K 2017/03/30

私と合気道の出会いは、高校生頃にさかのぼる。
かれこれ30年ほど前なので確かではないが雑誌かテレビで知ったと思う。
倒しに行った相手が次の瞬間なぜか倒れているのを見て不思議に思い他の武道より惹かれるものがあり、やってみたかったが当時は簡単に情報が入るわけでも無く憧れだけで終わっていた。

月日が過ぎ45歳を迎え休日はダラダラ過ごす生活を送り、これではいけないと子供と何か運動できないか探していたときに、たまたま光輝会のHPを見つけ、再び合気道への興味が沸きこれなら子供ともできるかと思い入会する運びとなった。
初めは日ごろの運動不足が祟って体が硬く下半身もしっかりしていなかった。
また姿勢も悪く上半身の力に頼って相手を倒そうとしていた。
そのため初めは無駄に肩に力が入り相手を倒そうという意識も強かったので相手の方には申し訳ないがとても受け難い取りをしてしまっていた。

そのうち大畑先生の受けを取らせて頂くようになってから「姿勢を正して」「もっと力を抜くように」「相手の力の方向を感じられるように」と何度もご指導頂き自分の間違いに気づかされた。
ただこの「力を抜く」ということの何と難しいことか。 気づくと未だに力が入ってしまっている。
取りが力を入れすぎると受けも反応して硬くなってしまい互いにぎくしゃくして正確な型とならない。
その逆も同じなので互いに力を抜いて稽古するように気を付けたい。
力を抜くことによって取りと受けの両方が力の出る方向、中心軸が感じられように繋がりを意識して行うこと。
技の途中で足が居着いてしまわないように相手の動きに合わせて動くことで気持ちの良い技ができるように心掛けていきたい。

今回初段を頂くことになったが、まだ型をある程度覚えたに過ぎない。
審査の時にも型を思い出すのに精一杯でガチガチになってしまったので、これからは自然と技が出てくるようになりたい。
それには次のことを意識してもっと稽古に取り組んでいきたい。
・上半身の力を抜き相手の力の出る方向が感じられるようになること
・ゆっくりとした動作で一つ一つが確実に行えるように覚えていくこと。
・常に基本に立ち返り入身・転換の体捌きがしっかりできること。
・頭から指先・足先までの動作、姿勢に気を配り、常に自分の中心を意識すること。
・呼吸力や体捌き・当身によってしっかり相手を崩し技を掛けられるようにすること。
まだまだ気を付けなければならないことは多いし、ここに挙げたことを実際していくのもとても難しいのだがこれからも大畑先生・会員の皆さんのご指導の下、一緒に楽しくも厳しい稽古を宜しくお願い致します。



『参段』 K・H

私は小学3年生の時合気道と出会い「めざせ達人」という目標を掲げて16年間光輝会で稽古をしてきました。 初めは小学生5〜6人という少人数で行われていた稽古でしたが、次第に増えていき有段者や大人とも稽古をするようになりました。 今となってはその当時稽古をしてもらった有段者の方にどのくらい追いつけたのかとても気になります。 演武会や講習会などにも参加するようになり大畑先生に教わった合気道でいろいろな相手と稽古をしていき今の自分があると思います。 小学生の時から言われ続けてきた「力を抜く」という意味を最近になりようやく感覚的にわかるようになってきた気がします。それと同時に自分の掲げた目標がはるかに遠く感じました。 最近では人に教える機会も増えてきて、ただ自分がやっていることを人に伝えるだけなのにこんなに難しいものかと思いました。けれども教えるうちに自分も基本に戻ることができ、教わることがたくさんあることがわかりました。 仕事などで稽古の時間も昔に比べだいぶ減ってしまいましたが、これからもずっと続けていきたいと思います。



『弐段』 T・H

 私が合気道を始めて十数年たち、弐段になることができました。思い返してみれば初段になってから弐段になるまでの道のりが、合気道を始めてからもっとも学ぶことが多かったと思います。 今思えば初段になり始めのころは、心のどこかで茶帯気分が抜けてなかったです。ですがあるとき、袴をはいていると、子供に間違われて「先生」と呼ばれたことがあります。そのとき、袴をはくということは、子供や合気道を知らない人からは私もそのように見えるのかと思いました。それからは、人に見られるということを意識して稽古に励むようになりました。  また、初段になってから今まで以上に先生の技と自分の技を比較して考えるようになりました。自分の技はどこかで力に頼っている部分があり、一体どうすればあのような技をかけられるのか考えたとき、やはり先生の技は互いの力の流れを第一に考えて動いているように思いました。弐段になってからの課題は、互いの力の流れや力のつながりをもっと意識することだと思います。  大学のサークル活動などで稽古に行けなかったことも多かったですが、ここまで続けてこられたのは先生や同期の友人、道場の皆様のおかげです。これからもそのことを胸に、参段を目指して稽古に励もうと思います。


『弐段』 Y・H



 2001年に合気道を始め、2010年に初段になり、2013年に弐段になりました。初段から弐段になるまでには、今までと比べて色々なことを経験したり感じたりしました。
 初段になった時、〜これからの課題〜というものに「残り何年できるか分からないから、今できることは全力でやる。」ということを書いたと思います。でも、受験と部活が重なるようになってから、一度休会しました。休会してからは「まだできた」とか「もっとやればよかった」など、後悔の言葉ばかりでした。大学が地元ではなかった時は、退会も考えましたが、退会したらもっと後悔していたと思います。受験が終わり、大学も地元に決まったので無事に復帰することができました。復帰した時は体がついていくか不安でした。
 段になってからは、教わる立場から教える立場になることが増えました。教えるのは本当に難しいと思いました。自分が理解していないと相手に教えることもできないし、自分が理解していても相手に上手く伝えられないので、本当に難しいです。今までは自分が出来て自己満足で終わっていましたが、これからは相手に教えられるような人になりたいです。
 弐段になって考えるようになったのは、仲間と過ごす時間です。私が合気道を始めたときは、同級生がいっぱいいました。多い時期には15人くらいいたと思います。でも、学年が上がるにつれてだんだん減っていき、今では自分を含めて3人になりました。10年以上一緒に稽古をやっているので、普段の稽古でも1人しかいない日は少し寂しいと感じます。私ももうすぐ社会人になるので来れなくなる日が多くなると思います。なので、来れる日は出来るだけ行きたいです。社会人になっても、続けられる限りは続けたいです。また、合気道をやっていたことにより、大学で友達になれた子もいるので合気道をやっていてよかったと思います。今稽古している子も、辞めずにずっと続けてほしいです。
 何年後になるか分かりませんが、次は参段を目指して頑張りたいです。



『弐段』 M・O


 私が合気道を始めたのは5歳の時でした。この頃は稽古に行くのが嫌で嫌でたまらなかったのですが、休むと怒る父が怖く、逆らう勇気もなかったので渋々行っていたのを覚えています。ですが年を重ねるごとに嫌で仕方なかった稽古も徐々に嫌ではなくなりました。それは毎週、稽古することが習慣になったからではないかと思っています。そして、大学に入った今では、中学や高校と違い運動する機会がなくなってしまい、体を動かすことが少なくなってしまったため、稽古を通してストレス発散することができ、合気道を楽しむことができるようになりました。
 また、始めた当初は、道場に子どもが私を含めて4人しかいませんでした。しかし、今では、毎週40人近くの子どもや大人たちが稽古に励んでいます。そして、それと同時にやめていった人も多くいます。合気道は野球やサッカーなどのスポーツと比べると、試合もなく、あまり華やかでもないのでおもしろくないと思われがちかもしれませんが、続けていくうちに見えてくるものがあると確信しています。
 しかし、正直なところ、私は15年近く合気道を続けていますが、合気道の良さというものをあまり理解できていません。合気道というのは、その良さや魅力を理解するのには、もっと多くの年月を要するほど、奥の深い武道であると思っています。
 この度、弐段に昇段させて頂きましたが、これからも稽古に励み、もっと技を磨いて上達し、合気道というものを理解したいと思っています。



『初段』 D・K


 私が合気道を始めるきっかけは、友人がやっているという合気道の稽古を見学に行った時でした。正直に言うと最初はその友達ともっと一緒にいたくて始めたのが本音でしたが、端から端まで受け身の練習をしたり、技の練習をしたりと、毎週稽古に通っているうちに、だんだん気がつくと他の事を忘れて熱中していたり、演武の本番が近付いてきた頃には友達との遊びを断ってまで練習する事さえありました。最初は友達につられて合気道を始めましたが、気がつけば交友関係とは別の理由で熱中するようになっていました。
 昔から自分は飽きっぽい性格で色んな習い事をやっては飽きてやらなくなり、辞めてしまっていたのですが合気道だけは不思議と今までの習い事と違い、飽きたり?辞めたい?と思う事はありませんでした。今考えるとやっと向いてる物を見つけたのかな、と勝手ながら思う事があります。そして幾年が経ち、技も覚え合気道が分かってきたとき、やっと初段を取ることが出来ました。そのとき私は父親にその事をとても褒められ、自分の事の様に喜んでくれる父親を見て?ああ、続けてきて良かった?と心から思ったのを今でも鮮明に覚えています。
 始めた当初は色んな事を先生に教えてもらい、半身の足の位置や手の振り方、位置の取り方等を、文字通り刷り込む様に何度も何度も教えていただきました。そのおかげで、多少は形になってきたのではないかと思います。今では、ごく稀にですが練習の際に、相手に助言をする様にまでなれました。自分で助言をしたものの、急に不安になり今の助言が間違ってないか先生に確認し、周りの先生方に笑われたのも良い思い出です。しかし助言はする事はあっても決して驕らず、学ぶ姿勢を忘れずにこれからも心身ともに鍛え
ていきたいと思います。



『弐段』  I・S

 『合気道と私』
 私の合気道を振り返ってみると、光輝会の皆さんの後を追って離され落ち込むを繰り返し、少しづつレベルを上げて来たように思います。私には、認めてくださる先生と、励まし合える仲間と、支えてくれる家族がいます。このたび頂いた段位は、もったいない程の誉れであり、皆さんと共に有ればこそとの意味で、重みを感じ、喜びに満ち、心より感謝しております。
 老若男女問わず、誰でも出来る合気道でありながら、私はいまだに自分自身を知りきれず、もっと身長が欲しい、もっと強い力が欲しいと、無い物ねだりをしてしまいます。上から強い力で押さえつけるという意識が抜けないのだと思います。相手の力を利用する事や、無理や無駄のない動きをする事が課題です。
 大畑先生との稽古の中で、力は必要ない事を体感した事が有ります。その時の先生の言葉は、『相手の力を感じるために、自分の力を抜き、柔らかい動きをする。』です。その事の、なんと難しい事か。以来稽古のたび、あの感覚を思い出しながらも、力が入ってしまう情けなさです。私は、稽古の中で体感し実践する事が、なにより大切だと思っています。これからも今まで通り、短い時間でも、集中し真剣に稽古していきます。
 合気道は、唯一の競技しない武道です。他人と勝敗を争うのではなく、相手を尊重し調和し共に歩む。だから、そこに気高いまでの精神性があるのです。変わる事が出来るのは、自分だけ。比べていいのは、昨日の自分だけなのです。いつの日か、小さく軽く力の無い私が、ひらひらと舞うように相手を捌く合気道をしたいと思います。それを目指して稽古に励み、上を向いて進んでいきます。



 『弐段』  H・W

 『感謝』
 私は子供と一緒に合気道を始めてから今日まで、入門部〜少年部〜一般部で稽古をしている。
 大畑先生をはじめ一般部ではたくさんの人の受けを取らせてもらっているが、本当に合気道は受けから学ぶことが多い。私の中ではまず大畑先生の技を受けた時の感じが基本にあり、受けも取りもできるだけそれに近付くことを目標にしている。
一般部の稽古では、いろいろな人の技を受けながら、力の方向、強さ、タイミング等々、大畑先生との微妙な違いを感じながら、その違いを留意点として自分の技にフィードバックさせていく。もちろん自分で自分の技を受けることは出来ないのでそれがすぐに活かせているかどうかは分からないが、いろいろな所を少しずつ変えながら、出来るだけ違和感なくスムーズに動けるところ、力に頼らずに技が掛るところを意識しながら稽古をしている。
 また少年部では、子供たちに基本的な動きを教えながら、技について深く考える機会ももらっている。少年部には低学年から高学年までたくさんの子供たちがいる。低学年の子供達には正しい動き方を、高学年の子供達にはもう少し細かい動きや注意点など基本を中心に教えているが、稽古中に子供達からよく声を掛けられる。 『先生分からん。』 『こうでいいの?』 『ここはどうすればいい?』
 簡単そうに思えることでも子供たちにとっては難しい事が多い。かくいう私も一般部で始めた頃は、初めて見る技ばかりでとにかく形を覚えるのに必死だったことを思い出す。子供達から自分では思いもしなかった点を聞かれて、どう教えたら理解しやすいだろうかと思わず考えてしまうこともある。それまで何気なく流していた点を意識して、色々な面から改めて技を見直すことにより、自分の中での技に対する理解度が高くなっていく気がする。私にとって少年部での稽古は、一つ一つの技をより丁寧に、より正確に、常に基本に戻ることを心掛けることにより、それぞれの技についての理解を深めていく大切な時間になっている。
 こうして改めて振り返ってみると、大畑先生はじめ一般部の方々はもちろんのこと、少年部の子供達にも、私と一緒に楽しく稽古してくれている家族にも感謝の気持ちで一杯になる。本当に気持ちのいい稽古ができる光輝会に出会えたことが、私が合気道を楽しく続けられる一番の理由であると思っている。
 このたびの昇段にあたって、今の自分の合気道で不足しているところを自覚しつつ、早く段位に恥じない合気道が出来るようになることを目標に、少年部で基本を繰り返しながら、一般部ではさらに次のステップへと技を発展させていけるよう稽古に励みたいと思う。そしてこれからもこの恵まれた環境で合気道ができることに感謝しつつ、家族揃って楽しい合気道を続けていきたいと思う。



 『初段』  T・H


 僕が初めて合気道に出会ったのは、父に連れられて兄の稽古を見学に行った時でした。最初のうちは、兄がやっているから興味を持っていただけでしたが、だんだん見ているうちに、楽しそうに見えてきて、自分もやってみたいと思い合気道を始めました。しかし、始めて間もない頃は、受身を取るのも苦戦していたと、今も覚えています。そうして毎週稽古に通っているうちに、「もっと上手になりたい」、「もっといろんな技を知りたい」という気持ちが芽生えてきました。それから、皆より上手くなりたいという気持ちも生まれました。それと今も印象に残っているのが、安野師範の講習会です。自分と大畑君以外、皆有段者だったので、とても緊張しました。他の道場の人たちと稽古してみると、同じ技でも、皆それぞれ違った投げ方をしていたり、違う解釈をしていたので、とても勉強になりました。このような機会をつくってくれて、毎週稽古をつけてくれた先生や、その他の多くの人たちの支えのおかげで僕はやっとここまで来ることができました。しかし、これに満足せず、新たな一歩だと思って、今まで以上に稽古に励もうと思います。



 『初段』  Y・H


 私は合気道を始めて9年目です。やっと黒帯になりました。茶帯卒業も少し寂しいけど、これからは黒帯が似合う人になるように頑張っていきたいと思います。
 〜私が初段になって思ったこと〜
 私は少年部にいた時に比べて、だいぶ上達したと思います。上達したと思った理由はまず、参加する日を週一回から週二回に増したことです。やっぱり、時間が倍になると、いろいろな技を身につけられるし、苦手な技も克服することができるからです。次に、先生の動きをしっかり見て真似ることです。私もまだ、先生の動きを真似ることは完璧ではありません。でも、真似ることで自分の動きと先生の動きの違いを発見することができます。そこで、自分のクセを直していけば、もっと上達すると思います。最後に、男性女性の関係なく、いろいろな人と稽古をすることです。私はこれが一番上達するコツだと思います。少年部にいた時は、ほとんどと言っていいほど同じ人と稽古していました。だけど、一般部に入って同学年の人から年上の人、年下の人と、いろいろな人と稽古することによって、自分の悪い所も発見できるし、相手の悪い所も発見できるのでお互いに上達していきます。
 これからは、部活も忙しくなるので合気道に行く時間も減ると思いますが、時間がある限り参加していきたいと思います。そして、黒帯に誇りを持って、恥じのないように稽古をしていきたいと思います。
 〜これからの課題〜
一、 どんなに簡単な技でも癖があればしっかり直す。
二、 人に教えられるように自分の動きを完璧にする。
三、 残り何年できるか分からないから、今できることは全力でやる。



 『初段』  T・K


 合気道を始めて十年が経ち、小学生の頃からずっと憧れだった初段になることができ、同じように憧れだった黒帯と袴も許されることになりました。
 しかし、十年稽古を続けていても、まだあやふやな技があったり、咄嗟に判断し身をかわすことが出来ない時もあります。初段になれた時は嬉しかったけど、こんな状態で初段をいただいても良いのか、という思いもありました。けれど、初段になれた事を機に、今まで積み重ねてきた事をもう一度振り返り、一回一回の稽古を大切にして技を磨いていこうと思います。部活が忙しく、稽古を休むことがよくありますが、出来る限り頑張りたいです。これからも、合気道で心身ともに鍛えていきます。



 『初段』  M・O


 私はこの合気道を年長の時に始めました。そして始めてから十一年でやっと初段になることができました。もともと、私は小さい頃から人より鈍くて、何事も長続きしなかったので初段になることができ、また十一年間も続いた事は自分でも驚いています。
 初めの頃はあまり記憶にないのですが、保育園の友達や小学校の友達がいたので遊びに行く感覚で行ったような気がします。そして、どんどん年が経つにつれて、その友達もほとんどやめてしまいました。私は休むことも度々ありましたが、合気道を続けてきました。稽古中、私は注意された事を一度で直すことができず、何度も同じ事を注意されて半ベソをかきながらやっていたことを覚えています。今では少年部を教える機会があるのでわかりますが、私を教えるのも大変だったのだなあと思うことがあります。
 少年部を教えていて、“教える”ということは本当に難しいとつくづく思います。間違っているところをどんなふうに教えればいいのか分からなくなる時があります。それに、間違えたところを教えたと思えば、それは自分が間違えているところで、相手にウソを教えてしまうことや、間違えているところを見逃してしまうこともあります。こういう事があると、私はまだまだ稽古が足りないのだなあと改めて実感します。相手にウソを教えたり、間違えているところを見逃したりしないように、しっかり稽古して正しい技を身につけたいと思います。
 長い時間をかけて初段になることができたのだから、これからは、忙しい時でも合間をぬって、もっと上を目指して頑張っていきたいと思います。



 『初段』  H・W


 子供たちと一緒に合気道を始めて3年目。入門部、少年部で子供達と一緒に基本を繰り返しながら、一般部でさらに詳しく技を習う。素晴らしい先生や先輩方に恵まれ、とても充実した稽古をさせていただき、このたび初段を頂くことができました。合気道を始めた頃はただただ憧れていた袴でしたが、いざ自分が履くとなると本当に大丈夫だろうかという気持ちにもなります。ただ初段といっても、自分としては最近になってやっと合気道が少し分かり始めたかなというのが実感で、やればやるほど難しさが大きくなっていくのが現状です。
 その中でも特に難しくて面白いのが『受け』。きちんと受けが取れた時はとても気持ちがいいし、逆にきちんと受けが取れず、大畑先生から「堅い」と指摘されることもたびたびです。技を掛ける側の『取り』と技を受ける側の『受け』、どちらが欠けても合気道は成立しない。相手との息が合わないと技がギクシャクしてしまう。いかに相手との呼吸を合わせられるか。目標は、相手の動き、力の方向や強さの微妙な変化を感じ、そこから相手の意思を読み取り素直にきちんと受けをとること。これは、『受け』でも『取り』でも変わらない。「きちんと相手に伝えられるか」、「きちんと受け取れているか」、常に相手とのつながりを意識しながら自然に動けるようになるのが現在の一番の目標です。
 とりあえず初段を頂きましたが、まだまだ足りないところばかりですので、早く実力がともなうよう、これからも家族4人そろって楽しく元気に稽古に励みたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします



  『6年目の昇段』   T・S


 学生の頃、『合気道は柔道のように筋骨隆々にならなくとも、相手の動きを上手に利用して捌き伏せることができる』ということを知り、理論的な技運びや力の使い方に興味をもったのが合気道との最初の出会いでした。当時はネットで簡単に検索できる時代ではなかった為、それ以上深く調べることもできず、いつの間にか月日が過ぎ社会人に。そんなある日、定期的に体を動かす機会を作ろうと、何か運動を始めようとして検索したのが『合気道』であり、大畑先生との運命的な出会いでした。あれから6年、休部期間もありましたが、いつしか『袴を着用したい』が稽古継続への目標となり、ようやくこの日を迎えることができました。思えばただ体を動かすだけが目的だったのですが、いざ始めてみると合気道の奥の深さに魅了されてしまい、毎回の練習が発見や納得の数々となっておりました。
 この度、初段をいただき袴を着用することにより、新しく再スタートする気持ちで初心を常に心に留め、今後も稽古を重ねていこうと考えております。まずは最低限初段らしい動きができること(無駄な力を抜き、相手の動作を感じ、正確な技運びを行う)を当面の目標として稽古してまいります。また、今出来ていることに満足するのではなく、出来ていることを次にどのように活かすかを念頭に稽古を行い、連続した動きへと発展させていきたいと考えております。
最後に、有段者として人の手本となれるよう稽古に励んで参りますので、今後とも宜しくお願いいたします。



  『合気道と私』   I・S  


 合気道との出会いは、テレビドラマ「まんてん」。宮本信子さんの凛とした美しさに惹かれ、即ネット検索し、合気道光輝会を知り入会しました。道場と言うものに足を踏み入れるのは初めてという私には、真っ白な稽古着も、青畳も、道場に響く畳の音も、すべてが珍しく新鮮でした。
 無邪気に相手をしてくれていた少年は、だんだんとハニカムようになり、あっという間に伸び盛りの若者になりました。私は手と足をぎこちなく動かしながらも、なんとかやってきました。そして、合気道の楽しさと稽古後の爽快感を知りました。
 あれから6年。白い帯に昇級の記録を書き留めています。インクが落ちて薄くなってゆく文字に長い月日を感じます。「50才までには袴がはきたい。」の願いに答えてくださった大畑先生に、感謝の気持ちでいっぱいです。
 袴姿のお手本は藤井さん。彼女のしなやかで美しく芯の強い動きは、今でもしっかり覚えています。彼女の、猫のように柔らかく受け身をとり、鋭く向かう姿が理想です。
 大畑先生に投げられた時の、あの一瞬が好きです。飛ばされる恐怖などなく、落ちてからの痛みもなく、ふわっと空気と一緒になり、次の瞬間、畳の上に居る。「あっ!」と「なぜ?」が交錯する一瞬です。相手にこんな気持ちを待たれる合気道がしたいと思います。
 合気道の階段を一つ上がろうとしている今、うれしさと不安が同居しています。少し知ったばかりに、いろいろなことを考え、小さくなっている自分がいるもの事実です。そんな時こそ、合気道新聞に書かれている開祖の言葉を繰り返し読み、かみしめ、肩の力を抜く私です。
 今年、丑年。私、年女。次の年女にも合気道をしています。誰にもおばあさんとは言わせない合気道を、きっと、しています。私には尊敬する先生と、女だからと手を抜かずに稽古付けてくれる仲間と、ちょっと教えたくなる若い子たちがいます。私は、教えていただくとおり一生懸命に、素直に、元気に、稽古するだけです。「好き」と「楽しい」が、私を後押ししてくれます。それが、夢をかなえるために、私を大胆にしてくれるのです。



  『私が合気道を通じて学んだこと』   Y・I  


 私が合気道を始めて5年が経ちました。その中で私が,特に身を持って学んだことは「続ける事の大切さです。」
 入門当時,私は練習をさぼりがちで,週に3日ある練習を,週1日,ひどいときには行かなかった週もありました。その当時は,練習をしばらく休んだ後とても行きづらかったし,後で入門する人にもどんどん抜かされていきとても惨めな思いをしました。自分は練習に行ってもそんなに上手くはならないだろうという諦めがあったのだと思います。それで当時は,行くのをやめてしまおうかと思っていました。しかし,師匠は常日頃から,「やめるな。やめたら成長は無い。続けなさい。」と言われていました。私はその言葉を信じ何とか道場に通いました。
 そして2年が経ち,少しずつ技も覚え,合気道が分かってきたとき,やっと3級を取ることが出来ました。そのとき私は師匠に「良く続けたな。」と言われ泣きそうになりました。そのとき,私は初めて続けることの素晴らしさを実感したと思います。その後もしばらく道場に通い続け,進路の都合で広島へ帰ることになりました。
 広島の道場は,長野の道場と大分違っており,戸惑うこともありました。しかし,前の道場との技の違いから,合気道のことを少し客観的に見ることができるようになり,合気道が面白くなりました。また,人につられるのではなく,しっかりと自分の合気道を持つことが大切だと考えるようになりました。
そして,広島の道場でも,素晴らしい師匠や道場仲間に出会うことができました。それもこれも,合気道を続けた賜物だと思います。
 そしてこの度,昇段することが出来ました。しかし,合気道ではここがスタートラインだと思っています。まだまだ,技の意味や合気道の意味が分かっていないこともあり未熟な面もありますが,しっかりと克服していきたいと思います。また,袴を履く立場になり,目指す立場から,少しだけ目指される立場になりました。そのような立場を自覚して稽古に励んでいきたいと思います。



<合気道光輝会>


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