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■ 真剣さ2016. 2. 6

 特に冷え込む寒い日に稽古を休む人が多い中、稽古に通ってくれる人には頭が下がる思いだ。合気道を好きでない限り、稽古に行くより遊びたい、寒い時は休みたい、と思うのは自然なこと。そんな誘惑にも負けずに稽古に来てくれるからには、満足して帰ってもらいたいと指導にも熱が入る。こんな時、もっと良い稽古方法を求めていつもアンテナを高くしていなければと思う。
 入門部、少年部会員で、合気道が本当に好きで稽古に通っている子は少ないようだ。しかし、好き嫌いにかかわらず、稽古に来た以上は“真剣”に取り組まなければならない。合気道は型稽古だから、ひとつの技を繰り返し行い、体にしみ込ませていく。こども達にとっては、技が効くかどうかというところまで考えることは難しいことだ。受身の取り方も、流れの中でのタイミングだけで受身を覚えてしまう。技が効いていなくても相手が倒れてくれるので、それ以上の進歩を望むことは難しい状況だ。
 受身について考えを改めるよう、「簡単に倒れない」という言葉で注意をすることがあるが、なかなか理解できないようだ。しかし、真剣であろうが、そうでなかろうが、倒れない受身をすると稽古にならないことは、子ども達には何となくわかっているようだ。
 受身は相手に向かって行かなければ稽古にならないし、倒れないように受身を取るのを避けて逃げてはならない。受身を拒否すると、相手にも同じことされ稽古ができなくなる。“真剣さ”、“思いやり”がなければお互いに嫌な思いをすることになる。このことを稽古から学んで欲しい。
 植芝盛平先生は『合気道は禊(みそぎ)である。禊がないとものは生まれない。』と言われる。稽古によって我が身を清めよとのこと。合気道の稽古をとおして、真剣に取り組むことの大切さを学んで欲しい。また、稽古を休ませないことが、親として子どもにできることではないかと思う。


合気道光輝会/大畑