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■ 姿勢2016. 3. 6

 私の亡き師、山口清吾先生はとても姿勢の良い、立ち姿の綺麗な方だった。どこで動きを停止しても絵になる。自分もそうありたいと願うようになって随分になるが、未だに真っすぐな姿勢を保つことができない状態だ。技の始めと終わりは姿勢に意識を持つことができるが、技の途中の動きではその意識は飛んでしまう。撮影して頂いた年一回の演武で、自分の姿勢を確認するのだが、とても見るに堪えられない。これは、姿勢を良くしたいという願いが弱いことによるものだと大いに反省している。
 水戸徳川家の流れをくむ高松藩松平家の末裔、松平洋史子さんは、松平方式の厳しい躾を幼い頃から受けて育ったそうだ。歩き方については、『天からの贈り物』として、自分の体が天と繋がっているようなイメージを持つと、体の力が抜けて美しい姿勢で歩くことができると言われる。また、美しい所作は相手のために行うということだ。美しい所作は、場の空気を浄化して気持ちの良い場をつくり出すと教えられている。
 いつでも、どこでも綺麗にみえるように心掛けて、日々の生活を送ることが大切だが、それは自分のためではなく、相手のためだという教えに納得する。しかし、立ち姿や、歩く姿が美しいということだけで、その場の空気を良くしてしまうのではなく、自分自身を厳しく律することのできる、その人の生き方そのものが空気を変えているのだと思う。
 姿勢に関わらず、困難なことに立ち向かっていく強い心がないと、願いは叶わない。自分自身を変えることは、容易なことではない。小さなことでも疎かにしていると、強い心は育たない。子ども達の稽古においても、わずか十秒間の我慢に、自分を律することなく、楽な態勢を許していると強い心は育たないだろう。どんなことも手を抜く癖をつけてはいけない。私自身も老体に鞭打って、天と繋がっている意識を切らさず、今年の演武会に臨みたい。


合気道光輝会/大畑