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■ 我以外皆我師2016. 9. 4

 大きな被害をもたらした台風だが、暑さも峠を超え、稽古も楽になってきた。暑さにも負けないでこの夏の稽古に通ってくれた会員の皆さんには拍手を送りたい。暑さ、寒さに負けない強い精神力と身体を養っていくことが大切。少年部会員については、一度入会を決意したからには、最低でも少年部卒業まで休まず続けることが望ましい。必ず成果はついてくる。
 日常稽古の中では、初対面の人と稽古する機会はほとんどないが、このような機会が来た時、是非覚えておいて欲しいのは、どんな相手であっても相手から学び取るという姿勢を忘れないことだ。受け身が上手でない人であっても、そこから受け身について学ぶことができる。自分の技の欠点、パターン化した受け身の無意味さや受け身の指導方法などである。
 『子曰(しいわく)わく、三人行えば、必ず我が師有り。其(そ)の善(よ)き者を擇(えら)びて之に従い、其の善からざる者にして之を改(あらた)む』(先師が言われた。三人が行動を共にしたら、必ず自分の先生になる者がいるものだ。そのよい者を選んで素直に従い、悪い者を見ては、反省して自ら改める。)紀元前五百年頃の儒教の始祖孔子(こうし)による論語である。毛沢東以来の中国人は孔子を悪人として、どこかにやってしまったようだが、わが国では論語は今でも重用されている。幼い頃に父親を亡くし、貧しい生活の中で苦労しながら学び、徳を積んだ孔子は多くの弟子から慕われた。
 また、同様に『子曰(しいわく)わく、賢(けん)を見ては斉(ひと)しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省(かえり)みるなり』(知徳兼備の優れた人を見たら、自分もそのようになりたいと思い、つまらない人を見たら、自分はどうかと内省する)とも言っている。日常生活の中には自分を高める素材がどこにでもあるが、それを自分のものにできるかどうかは心掛け次第。合気道の稽古においても、この言葉を心に刻み稽古したいものだ。
 我以外皆師、自分以外のすべてのものは師である、との気持ちで稽古のみならず日々の生活を送れば、その後ろ姿に滲み出てくる何かがあると信じている。