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■ 化身2016.10. 2

 予定どおり一般部七名の昇級審査を終えた。休まず稽古する人は動きに迷いがない。指導方法について見えてきた課題は、次の審査の時までに解消したいと思っている。黒帯を目指し、質の高い稽古をして欲しい。
 一本一本を大切にし、どんな相手でも学び取る姿勢を忘れないことだ。自分より上の相手に教えることはあり得ないことだが、相手の力を見抜くことができなければこのようなことが起こり得る。相手というより自分自身の評価ができないのだろう。山口先生は、「安易に教えてはならない」と言われていたが、自己流に解釈すれば、相手から学ぶ姿勢を忘れないため、教える相手は受け入れることのできる人、教える時は要所要所のポイントだけだと思っている。
 少年部のトレーニングでは必ず手を抜く子がいる。何度も注意して我慢することを教えてきたのだが、効果がないことがはっきりわかった。自分の身近にいる家族でさえも変えることができないのだから当然だ。どんなに尻を叩いても自分自身が変わりたいという気持ちがなければ変えることはできない。変えることができるのは自分だけということらしい。
 また、何度注意しても聞かない子を無視することもできるが、稽古方法を変えてやってみる、だめならまた別の方法を試している。マザー・テレサの話を読んで、これを合気道の神様の仕業だと考える。「体にウジ虫がわいて死にそうな路上生活者を抱きかかえ、体を洗って、温かいスープを与えて最期を見送ったマザー・テレサに、何故乞食にそんなことができるのか?と聞くと、『乞食ではない、イエス・キリストです。キリストはあなたが本物かどうかを確かめるために、あなたの一番受け入れがたい姿であなたの前に現れるのです』と答えたそうだ」、仏教でも仏様の化身が修行者の邪魔をしに来るという話がある。
 不愉快な稽古相手、稽古を邪魔する者はすべて自分を試しに来る合気道の神様だと思えば、そんな状況を楽しむことができるのではないか。